播州産地とは?播州織とは?

― 私たちが「播州」で織り続ける理由 ―

私たち植山テキスタイルは、播州織(ばんしゅうおり)と呼ばれる織物を主に生産しています。「播州織」という言葉は耳にしたことがあっても、

・そもそも播州とはどこなのか
なぜこの地域で織物が発展したのか
播州織ならではの特徴とは何か

を、体系的に知る機会は多くありません。

ここでは、私たちのものづくりの背景にある「播州産地」と「播州織」の基礎知識について、改めてご紹介します。

播州産地とは

「播州(ばんしゅう)」とは、現在の兵庫県南西部にあたる旧・播磨国(はりまのくに)の別称です。一般的には姫路城や播州赤穂、揖保乃糸で知られるそうめん文化などを思い浮かべる方も多いかもしれません。

一方、織物業界における「播州産地」が指すエリアは、
兵庫県のほぼ中央、播磨地域の北側に位置する

  • 西脇市
  • 多可町
  • (加東市・加西市・丹波市の一部)

といった、いわゆる北播磨(きたはりま)地域です。

この中でも特に西脇市は産地の中心地であり、
播州織は「西脇織(にしわきおり)」と呼ばれることもあります。

なぜ、この地で織物が育ったのか

播州産地が織物産地として発展した背景には、自然環境と生活文化が深く関係しています。

この地域を流れる

  • 加古川
  • 杉原川
  • 野間川

これらの川がもたらすのは、染色に適した良質な軟水。この水があったからこそ、糸を美しく、安定して染めることができました。

また、播州地域では農業と並行して、農家の副業として織物が行われていた歴史があります。生活に根ざした手仕事として、技術が蓄積され、地域全体で産地が形成されていきました。

播州織のはじまりと歴史

播州織の起源は、寛政4年(1792年)。比延(現在の西脇市周辺)の宮大工であった飛田安兵衛が、京都・西陣織の技術を導入したことが始まりとされています。

その後、

  • 江戸時代末期には産地としての基盤が整い
  • 明治中期には組合組織が形成
  • 大正時代には輸出産地として世界へ展開

戦後はアメリカをはじめとする海外市場へも多くの生地を送り出してきました。

1990年代以降は国内向けの比率が高まり、現在では日本の生活・衣服に寄り添うテキスタイル産地として、役割を変えながら続いています。


播州織とは何か

播州織とは、単に「この地域で織られた布」というだけではありません。播州産地内の工場で

  • 製織
  • 染色(工程の半分以上)
  • 仕上加工

これらの工程を経て生産された生地を、播州織と呼びます。
(原則として播州織の組合に加盟する事業者による生産)

最大の特徴は「先染め織物」であることです。

先染め織物という技術

播州織は、糸を先に染め、その染め上がった糸を使って柄を織り上げる先染め(さきぞめ)という製法を特徴としています。

この製法には、以下のような特長があります。

  • 糸の段階で染色するため、色落ちが少ない
  • 発色が良く、深みのある色合い
  • 5万色以上とも言われる色データの蓄積
  • 自然でやわらかな風合い、優れた肌ざわり
  • チェックやストライプなど、多色表現が自在

縦糸(経)と横糸(緯)、糸の太さ、色、密度、織組織。これらを組み合わせることで、無数の表情を生み出せるのが先染め織物です。

現在、日本の先染め織物の約80%が、この播州産地で生産されています。

多様な用途へ広がる播州織

播州織は、シャツ生地のイメージが強いかもしれませんが、実際には用途は多岐にわたります。

  • シャツ、ワンピース
  • ハンカチ、ストール
  • テーブルクロス、インテリアファブリック
  • 雑貨、プロダクト用途 など

無地からチェック、ドビー、ジャカードまで、織組織やデザインに制限はなく、自由度の高いテキスタイルです。

今も、ここでつくり続ける理由

播州産地の強みは、糸の管理から、染色、準備、製織、仕上加工までを、産地内で一貫して行えること。そのため、

  • 多品種・小ロット
  • 短納期・短サイクル
  • 高品質・高付加価値

といった、現代のものづくりに求められるニーズに応え続けています。

私たち植山テキスタイルも、この播州産地の一員として、職人の技術と産地の積み重ねを、次の世代につなぐものづくりを行っています。


播州から、これからのテキスタイルへ

播州織は、長い歴史を持つ「伝統」ですが、決して過去のものではありません。

環境、技術、そして人。この土地で育まれてきたものを土台に、新しいテキスタイル、新しい使い方、新しい価値を生み出していく。

播州という産地から、これからの暮らしに寄り添う布を。

私たちは、今日もここで織り続けています。