播州産地の歩み
播州産地は、綿という素材と水という自然条件、そして技術の積み重ねによって形づくられてきました。 ここでは主要な出来事を年代順にまとめます。
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江戸時代中期綿花栽培と糸染めのはじまり
播州地方で綿(綿花)の栽培が始まる。1750年頃から、染色用途を見据えた糸染めが行われるようになる。 加古川・杉原川・野間川などの水資源(軟水)が、後の産地形成を支える。
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1792年(寛政4年)織物技術の導入
現・西脇市比延町で宮大工・飛田安兵衛が京都・西陣から織機製造技術を持ち帰ったことが契機とされ、 本格的な織物生産が始まったとされています。
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江戸末期〜明治初期工場制手工業へ
江戸末期には工場制手工業の段階に到達。明治初期には綿布業者・機屋が60〜70軒あったと記録されています。
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1892年(明治25年)地域の組織化が進行
地域の機業者による組織化が始まり、産地としての整備が進展。(多可郡縞木綿業組合の設立など)
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1900年/1906年力織機導入と「播州織」名称の登場
1900年に豊田式の力織機(シャトル織機)が導入され、家内工業から工場生産へ移行。 1906年には「播州織」という名称が初めて使われました。
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昭和期(1930年代)輸出産地としての黄金期
輸出向け織物産地として発展し、1930年代には年間1億平方ヤードという規模を記録しています。
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1948年(昭和23年)植山織物株式会社 創業
植山織物株式会社(現・植山テキスタイルの前身)が創業されました。
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1970〜80年代〜近年構造転換と高付加価値化
円高・輸入廉価繊維の流入により生産量が減少。近年は「多品種・小ロット・短納期」「高付加価値化」 「ブランド化」「最終製品化」といった構造改革が進んでいます。
歴史を受け継ぎ、未来を織る
200年以上にわたる播州産地の歩みは、自然の恵みと、人の技術、 そして時代ごとの挑戦の積み重ねによって紡がれてきました。
黄金期もあれば、厳しい局面もありました。 しかしそのたびに、産地は形を変え、強みを磨き、 次の時代へとつないできました。
私たちは、この歴史を単なる過去の実績としてではなく、 未来をつくるための土台として受け止めています。 一貫生産という強み、先染めという技術、産地全体で支え合う分業の構造。 それらを守りながら、時代に求められる価値へと進化させていくこと。
産地の一員としての責務を胸に、 播州織の可能性を広げ、 この土地から次の世代へとつながる布を織り続けていきます。